2018年8月のマレーシアは祝日やイベントで目白押しです。
ハングリーゴーストマンス(中元節)、マレーシア独立記念日、スクールホリディが始まるところ、終わるところ、いろんなことでバタバタとしているペナン島です。
その中でも今回は、マレーシアのイスラム教のイベント「ハリラヤ・ハジ」について少し。
今年2018年のハリラヤ・ハジは8月22日でした。
正直、この記事を書こうか迷ったのですが、マレー人に対する、いや動物を食する全人類とその犠牲になる動物たちへのリスペクトを込めて綴りたいと思います。
ハリラヤ・ハジとはイスラム教の祭日の一つです。
「ハリラヤ・ハジ」とはイスラム教の祝日で「聖地巡礼祭」または「犠牲祭」と言われている。 イスラム暦に基づき、世界中の信者が聖地・メッカに巡礼をする月が定められている。 その最終日をお祝いするのが「ハリラヤ・ハジ」である。(南国新聞より抜粋)
この祭日は、アブラハムの神に対する忠誠心を称えるもの。
アブラハムが神に自分の息子を生贄に出すように命じられた時に、素直に応じた話があります。
ですが、神はアブラハムを止め、息子の代わりに羊を生贄として差し出したということです。
この期間、イスラムの信者達は一張羅を身にまとい、モスクへと集まって説教を聞きお祈りをします。
ここで重要な儀式とされているのが「コルバン」(犠牲)です。
信者たちが生きた羊、子羊、ヤギ、牛を寄付し、お祈りをしている間に生贄は頸部を切られ命を絶たれます。
この行為は、自分の家族さえも生け贄として神に捧げた預言者アブラハムの忠誠心を信者に思い起こさせます。
生け贄の動物は清められ、その肉は切り分けられて分配されます。
通常、この儀式は各モスクで行われるということだったので、ペナンでも最も大きなタンジュンブンガにある海上モスクを訪れてみたのですが、みなさん真剣にお祈りをしていらっしゃったので、カメラを持って入る勇気はありませんでした。
この日は、綺麗な衣装を身にまとった信者達が朝からたくさん訪れていました。
場所を変えてストレイツキー方面へ。
キーサイドの横でも犠牲祭をやっているよ、とのことだったので駆けつけてみました。
昔からちょっと知り合いだったアークさんのお家へ。
「あ、アークさん、今日この子の番?」
「いや、うちは明日の朝やるんだ。
今日はこの子の大好きなトウモロコシを食わせているんだよ」
最期の晩餐ならぬ、最期のトウモロコシ。
ということで、翌朝8時に再び駆けつけました。
すでにご近所のマレー人の方々が集まり、始まっていました。
ここからは、見るも見ないも、その人次第。
肉を頂いている人間として、一度はこの現実を見なければ。
もし、見れない場合はベジタリアンになる。
勇気を持って近づいて、その瞬間を待ちます。
牛はまず後ろ足をロープで結ばれ、転倒させられます。
その後、前足も括られて身動きの取れない状態に。
この時に牛は既に自分の身に何が起こるのかがわかるようで、激しく唸り叫びます。
倒れた牛の顔の横あたりに、シャベルで穴を掘り始めます。
この穴をスタンバイさせてから、いよいよその瞬間が始まるのです。
大人が5〜6人で牛を押さえつけ、そして鋭いナイフは牛の頸部を一気に刺していくのです。
イスラムの啓典のような歌を歌いながら、その儀式は行われます。
ひと刺しかと思いきや、のこぎりで木を切っていくように、ギリギリと。
そして、滝のように溢れる血流。
牛は、バタバタと手足や尻尾を動かしながら、静かに息を引き取っていきます。
掘られた穴にドボドボと入っていく血。
この血が絶えるまで、おおよそ3分くらいでしょうか。
その間に、二頭目にスタンバイしている牛の後ろ足がロープで繋がれます。
その牛も、横目で見ていた同士に起こっていた情事がわかっていたらしく、僅かに震える身体の揺れを見逃しませんでした。
その牛は闘牛のように全力で抵抗します。
でも、大の大人たちの力には敵いません。
さっきの一頭目のように、同じ手順で、あっという間に啓典が歌われ、気付いたら滝のように。
滝が流れる間に、次はヤギ。
本日は牛二頭とヤギ二頭。
この時の様子は、目に入れることがいっぱいいっぱいで、写真なんて撮る余裕さえもありませんでした。
そしていつの間にか自分に溢れる大粒の涙。
すぐ近くに停めていたマイカーに戻り、涙を拭きにいきます。
動揺は止まらないまま、一頭目の牛の元に戻り、勇気を出して撮った写真がこれ。
首を半分だけ切られて完全にくたばってしまった牛は、この後四足をロープで吊るされ、皮を剥がされていきます。
大人たちが丁寧に、感謝をしながら綺麗に剥いであげるのです。
剥いでいる人々は、決して涙することなく、むしろニコニコしながら頂く命を楽しみにしている様子。
相殺与奪を握るのは、この世で人間だけ。
なんの罪もない草食の牛やヤギ達が、常に人間の餌食となっているのです。
驚いたのは、マレー人の小さい子供達も一緒にこの現場の一部終始を、目を逸らさずに見ていたということ。
彼ら自身の身体に入れていくモノが、どういう過程で食卓に並ぶのか、早い時期に学んでいくのですね。
日本のスーパーマーケットで切り身だけを見ているのでは、その有り難さというのは確かに伝わらないかもしれません。
これを見ることで、「命の大切さ」もとより、最後まで残さずに食べる、そして感謝をしていただく、ということができるようになるのだと思います。
我々はたまたま人間に生まれただけ。
自分たちが日常に頂いているものは、元は命だということ。
何の罪もない、生きた命。
命を頂いてエネルギーをもらう。
命を頂くからこそ、今生きている自分の価値を見出していく。
この子たちの命を無駄にしないために。
命あるものは、何かしらの使命を受けて生きているのだから。
二頭目の牛が、自分の順番が来た時に唸っていた声と、僅かに震える身体が遠目から見えた時の様子が、未だに目に焼き付いて離れません。
今に始まったわけではなく、昔から鶏も豚も、人間はいろんなものを屠殺してきました。
人間の使命は、ベジタリアンになるという方法もあるけれど、この神聖なお肉達を美味しく仕上げてあげること、そして感謝していただくこと、そして日々を充実させること。
マレーシアでは、その日に締めたお肉が新鮮だと言われ人気ですが、我が家では必ず一晩塩漬けにして寝かせ、両手を合わせてお祈りをしてからいただきます。
たまたま我々は人間に生まれてきただけ。
後世はヤギになるかもしれない。
犬かもしれない。
日々の当たり前の生活を振り返る良い機会を与えていただきました。
ハリラヤ・ハジのお祭りは大事なことを教えてくれました。
ありがとう。
たくさんの人々に笑顔を与えてくれる命に今日も感謝いたします。
以上、ハリラヤ・ハジ・ペナンからのリポートでした。
ボンボーノ@ペナン
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