2018年5月9日深夜、マレーシア全土に歓喜の声が揚がりました。
多民族国家であるマレーシアは、この日からそれぞれ自らのアイデンティティーを「マレーシア人」と呼び、「新マレーシア」として生まれ変わろうとしています。
選挙翌日の5月10日午後9時30分、クアラルンプールのイスタナで宣誓式があり、トゥン・マハティール氏が首相として就任されました。
それまで60年以上続いた独裁政権バリサンナショナル(以下、BN)から、それまでの野党パカタン・ハラパン(以下、PH)へと移行し、マレーシア史上初の政権交代が行われたのです。
ちょうど5年前の2013年。
総選挙では「またか!」と、延々と続くBN独裁政権に多くの国民が絶望し、意気消沈しました。
ナジブ政権下のここ5年間は特に、マレーシアのプチバブルが弾け、不動産価格の降下、GSTの導入、リンギット安による国内の物価上昇が続き、国民の生活は苦しめられてきました。
また、「マレーシア航空機行方不明事件及び墜落事件」、「アンワル氏投獄事件」、「北朝鮮の金正男暗殺事件」など不可解な事件も続き暗黒の5年間だったとも言えます。
そんな中、皆が一丸となって勝ち取った新政権。
ここに到達するまでに、国民一人一人の熱い思いがありました。
朝8時から始まった総選挙。
ふだんの外出もままならないおばあちゃんを抱え、車に乗り込むご近所さんの凛とした表情。
一人一人が、この一票に希望を託したのです。
‘I have done my part. How about you?’
私の役目は完了。あなたは?
フェイスブック上にもこんな投稿が続々と。
今回は特に、オーストラリアやヨーロッパなど遠方の海外在住のマレーシア人もはるばるこの日の為に帰国し、この一票に思いを込めました。
しかしながら、毎度の如く投票会場では様々な問題が起こります。
一日市民権をもらった外国人労働者の来場。
偽投票箱の設置。
そして、とどめは停電です。
毎度、開票日の深夜に起こる大停電。
その隙に次々と運ばれる謎の新しい投票箱。
毎度ながらの作戦で、票はBNが優位に。
そんなBNが票をメキメキと伸ばす中、こんな意見もチラホラ。
’もし、同じ手口でまたも同じ政権だったら、、僕はもう選挙なんか行かない。勝手にしてくれ。’
それでも、国民はめげずに立ち上がりました。
PH支持派の若者たちは開票場の前でデモを起こし、たくさんの人が集まりました。
深夜に何者かによって運ばれる謎の投票箱を奪い取り投げ捨てるのです。
夜空に舞い散る、’チェック済み’の投票用紙。
そうして国民の熱い思いが、投票日の日付が変わる頃に届いたのです。
窓の向こうの、あちこちから聞こえるバイクの警笛音と大歓声。
正式に過半数を占める112議席に到達したのは午前3時過ぎでした。
今回のマレーシアの総選挙での野党勝利は、実は歴史的には2回目。
1969年にも華僑系の率いる野党が当選したことがありました。
その時代には、腹いせに大暴動が起こり沢山の人が殺されたという。
映画館にいた人は外から鍵をかけられ、一人ひとり射殺され、挙げ句には館内まるごと火をつけられ燃やされてしまいました。
その後、強制的に政治は与党にひっくり返され、そのことを知る人には当時の傷が思い起こされる今回の逆転劇。
しかし選挙後、街は驚くほどに静粛で新政権への移行もスムースなものでした。
それも、マハティール氏の綿密な作戦と指示があったからだと言われています。
またマレーシア国民も成熟した結果だという声も。
マハティール首相は選挙前日から数日間就寝する間もなく、直ぐに以下の100日公約を発表しました。
【これから100日以内に実現・明瞭化する10項目】
1、GSTの廃止
2、ガソリン値段の引き下げ
3、国民の医療制度の見直し
4、国民のEPF(ローカルタックス)の見直し
5、最低賃金の引き上げ
6、ジョホールバルのプランテーション問題
7、奨学金の返済義務緩和
8、東マレーシア問題
9、コンドミニアム建設における見直し
10、中国への投資金の明瞭化
92歳でまっすぐな、そしてユーモアを含めたマハティール首相の会見では、笑いと安堵感と希望に満ち溢れた拍手でいっぱいでした。
みんなの笑顔が続き、心身共に豊かな国になりますように。
ますます面白くなるマレーシア。
今後の動きに注目です。
以上、マレーシア新政権誕生のまとめリポートでした。
ボンボーノ@ペナン
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